拝啓 づめこ様
一気に暑くなりましたね。天気も嫌な感じで、健康でいるのが難しいかんじです。なかなか、どうにか。と思うんだけど、ここから夏がやってくるんだ、と思うとこの「大変だな」が続くんだろうな、と分かってがっかりします。
タイムリーに今月のお題はコーピング、「わたしの回復魔法」です。
落ち込み続けている今だからこそ、むしろ、本当にタイムリーで「それを言葉にして乗り切ろう」と思ったりもします。
ここ最近、体調が良くありません。
あちこちが痛い。じくじく、押さえつけるような、寝違えた時のような痛みがあります。
強張るような感覚や、内臓がぎゅうっと握り締められたような居心地の悪さもあって「ああさすがにこれはおしまいだ」と思ったりもしました。
まあ、全然健康体だったのですが。
クリエイトをやるには、「社会で生きていけない」という顔をするには、いつもいつも私は健康すぎるし、平気すぎる。なんだかね。
私の中でばかり、嵐があるのです。やってらんねえぜ。
治療の対象ではないくせに、そこそこに人や自分には迷惑をかける。なんだよもう。
じゃあ、そんな私の回復魔法はなんなのか。
医療だとかその他諸々に適合せずに「やってらんねー」をしてきたけど、まあ、うん、分かるよ。
でも結構毎回傷付いてでも「治療できませんよ」と言われて、そういうたんびに「好きなものを増やす」というコマンドを発動してきました。好きなものを好きになった瞬間を振り返ると大体「あーあの時きつかったよねえ」があるのです。
きっと、その度に「まあまあまあ」と神様なりご縁が助けてくれたりするのかもなあ、なんて思います。まあ、それもちょっとなんか「誰かのおかげ」というのが気に食わないなあと思うけど。
でも今回の落ち込みは、それが効きませんでした。そうして出会ったはずのラジオすら(何かラジオで嫌なことがあったわけでもないのに!)聞けなくなって「おしまいじゃん」と思ったりもしました。
ただ、なんか、そのなかでラジオを編集したり書きたい文を書いたりしているとだんだんと、ちょっと、まあいいかと思ったり「あ、これしたい」と未来に意識が向かったりしました。なんだかそうしていると「あ、平気かも」と思ったりもしました。
文を書いたり、ラジオを編集したり「やりたい」を考えたりしていると「ああ、楽しいなあ」とニヤニヤします。どれだけ落ち込んでいても、「こういうのを作りたい」と思ってるとマシな気持ちになります。
自分のコントロール下にないものばっかりです。
なんだよもーと思うことが多い中で、「自分の想像」の中で生まれて形になっていくと嬉しくなったりもします。
作りたいな、と思ったことが、ちゃんと形になって、自分が欲しいな、いいなと思うものが形になると誰かのためになるとかならないとか価値があるじゃなくて「ああよかったな」と思います。
少なくとも、ここには安心できるものがある、と思うのです。
そうすると、心臓がちょっとゆっくり、安心してきて「あーよかった」と思います。
意味があるとかないとかじゃなくて、私は私を回復させるために何かを作るのがいるんだな、と最近、改めて気付きました。
なんでそんなに、と時々聞かれるけどただただ「回復したい」という気持ちだったのです。
暑くなるけど、自分の気持ちを大事にしながら、なんか、うまく生きていきたいですね。
そのためにも、あんまり、自分を追い詰めすぎず。
つく
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拝啓 つくさん
こんにちは。
日中は真夏みたいな日差しなのに、夜は毛布が恋しくなるほど冷え込んだり、5月ってこんな感じでしたっけ!!!?
ここから更に台風や梅雨、更なる気温上昇が確定しているの、あまりにも「面白くなってきやがったぜ」ですね。
夏を乗り越えるにあたり、そういうマインドで生きたいところです。
さて。
今月のお題、「わたしの回復魔法」。
お題選定時に、新年度や連休あけの五月病を想定してご提案したお題です。
そしたら、想定を超えて、5月は、フィジカル方面で2回寝込む、をやらかしました。
寝込むと、普段の生活リズムに戻すまでにまた日数が必要だったり、
体のどこかに不調があると、メンタル方面も引っ張られてぐずぐずするなぁとつくづく感じます。
…ここまで文章を書いて、いつもうるさいくらい言葉に溢れた頭がシンとしてさらに書けない事態にも。5月にボールを投げられず、6月半ばにようやく投球できた始末。
内省、言語化、創作、人との会話、エンタメ。
わたしの回復魔法はこのどれかなんだよなぁとなんとなく4月末に考えていましたが、その仮説は2026年5月6月の私にはあてはまらないことがわかりました。
全て、やりすぎると、ダウンしてしまう側面もあるな と薄々気づいてきてしまったからです。遠回しにしたのは、気づきたくないからですこんなこと。
好きだけど、楽しすぎてある一線を超えるまでやってしまい、しんどさを感じてしまうこともある。ぶっ倒れることもあるとか。やだし。
そんな1カ月プラス半月を通し、回復すなわちマイナスをゼロ状態に戻す魔法について明確に「これ」と言えるのは、医療への適切なタイミングでの受診と、適切な投薬及び、休養食事睡眠ではないかという結論に至ってしまいました。
つ…つ、つまんないよぉお!!!
そんなんさいあく!!!!!さいあくじゃーん!!
打ちながら思ってしまいました。
これは、なんか一個で全部ぜーんぶ解決したり最強になれる魔法があったらいいのに、と思う癖がありがちだからです。わたしに。
ずっとそうです。
実際、街ブラのたまたまの流れではありますが占いなんかも受けてしまったりした。
でも、やっぱり、別に占いを受けても、わたしはわたしのままでした。
心身ともに「ウー!!!!」となった時、
カウンセリング、占いや整体、マッサージなど、心身ともに一回の施術を受けたとて、不調や苦しみが一発で解決!!みたいなのって、ない。
結局苦しかろうが悲しかろうが、それを背負ったり宥めたり眺めたりしながら一つ一つコツコツ、地道に暮らしや試行錯誤を淡々と繰り返しつづけることしかないの、結構、結構、たまに、しんど!となります。
一発ですっきりしたいのに。一発でつよくなりたいのに。
積み重ねるしかないし、積み重ねたことの方が、効く、とか。
生きることが悩ましいのに、生きることそのものがコーピングになるって、あまりにも面白いなと思いました。面白い?なのか?そんなんあまりにも皮肉じゃん、なのか?笑うしかない、なのか。
こうして色々考えつつ、
意識が高い、丁寧な暮らし、などと揶揄されるとぶん殴りたくなるし、相手の大切な物を壊して周りたくなる爆弾魔のハリネズミみたいな気持ちに気づいた1ヶ月半でもありました。
少しでも心穏やかに、少しでも自分の在りたい姿に、そして世界にとってよき歯車になれたらいいのに。
まとまりがありませんが、ずっとずっとそんなことを考えています。
梅雨が来て、猛暑がスタンバッているので、お互い、どうか少しでも穏やかに毎日を過ごせますように。体調を崩すことも、時に自分に厳しくなることも、受容できずともまるっとおおきな風呂敷でつつんじゃって、それをわっせわっせと背負ったり抱っこしたり、時にクッションにして寝そべりながら、いきてゆけますように。
づめこ
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夏の始まりに
さて、どうやってお返事しよう、と思ったりもしていました。自分自身の余裕のなさと、さて、このボールは大事に返したいぞ、と思ったら遅くなりました。なんだか、ここは大事な気がしたんです。
体力が、あるほうだと思います。たぶん、そこそこに回復しながら好きなことをやれる人生を送ってます。よくもそんな精力的に、と言われるし、ここ数年「自分は体力値が異常なのかも」と気付きました。
2時間残業し、ジムに行き自炊をしてブログを書く。それはたぶん、結構、異常らしいのです。でも、私は、私の在りたいとは程遠くて、だから「足りてる」なんて思えないのに。
づめさんの言葉を読みながら、そっかあ、と考えていました。そっかあ、は他人事の話ではなくて。これ、伝わるのかな。回復って、難しいな、と思います。同時に「表現すること」も。
生きていること自体が回復かよ、といやだー!と思う気持ちもすごくわかるし、同時に私は最近、生活を面白く思っていて、だから、生活、かっけーっすよ!とも思うし。合わせて、自分が少し「表現することが回復」と言ったのは格好つけてなかったか、と思ったりもしました。そう思える自分で、私はいたかっただけじゃないのか。
……でも、なんか、生きていくことを諦めそうにはなるけど、まだ書きたいなあとか、ラジオやりたいなあと思ったら死ぬの勿体ねーと思えるということは嘘偽りないし。それは、私が生活が下手すぎるということだけど。あと、だというのに、成果物に「もっと頑張れよ」とは、まあ、さすがに思うんだけど。
でも、生きていくことも、表現をすることも、やり方次第では同じじゃないか、と思います。ただただ何も考えずに流されてるわけじゃなくて必死に自分なりに考えて「正解」を探してたら、なんというか、それは「表現」じゃないのか。
あ、それかも。
生きてることに「くそがよ」と思ってるから、生きていくことに納得感を持とうとすること、それが「回復」にもなるんじゃないか。だって「くそがよ」って苦しいので。
「悪くないじゃん」まで持ち込む方法を「回復」と呼ぶのかもしれません。
それが表現だったり丁寧に自分なりに整えて生活をしたり立て直そうと努力することになったり。それはその時々で、そして、きっと、たくさんあったほうがいいんじゃないかな。
そう、思いたいんだけど、づめさんはどうですか。