4月のおたより

拝啓 づめこさま


づめさん、今回は唐突なキャッチボールのお誘いに応じていただき、ありがとうございます。
四月が始まり、日々が慌ただしく過ぎてますがお元気ですか?
好きなアーティストが「四月はどうあっても鬱々とする」と言っていて、ほんの少しこのやり切れなさや苛立ちに諦めがついてきました。

 

頭痛ーるを使うようになったのがここ最近なんですが。
ほんの少し前は「気圧が下がるから具合が悪くなるらしいと分かったとて、対策が最終諦めしかないなら意味がないじゃないか」と幼く憤慨してました。
ただ、最近は「あーじゃあ仕方ねえ」と思える理由は積極的に見つけて「あーじゃあ仕方ねえ」と言うようにしてます。
他責は良くない自責であれ、という世界ではあるけれども、なんとなく、行き過ぎた自責はいつの間にかとんでもなく強烈な他責になるような気がしてきたので適度に人のせいにしていきたいなあと思うのです。

 


とかなんとか書いてると本題には入れないどころか本題以外の八つ当たりばっかりになりますね!

 

さて、このキャッチボールはついついそういう八つ当たりのような「ああやだ!」が増えがちな我々(とナチュラルにづめさんを巻き込んでいくスタイル)が毎日のなかで、いっこでもにこでも多く、ハッピーを……なんていうと大袈裟ですが、ぱぴぱぴした楽しいや面白い、そういう心地いいを探して行って報告し合うタイミングにしたいなあと思うのです。

 

ひょんなことからネットを通して仲良くなった共通点があるようなないようなな我々ですが、
日々のなかでわりとしっかり傷付くこと、その上で怒ったりしてしまうこと「なんなんだよもぉー!」ぷんぷんすることが近く、
でも同時に一緒だと「楽しい」に変えていけるような、そんな気が勝手にしているので思いついた企画です。企画です、というと大袈裟なので、肌感覚のままに言葉を選ぶなら、遊びです。

 

そう思うと、キャッチボールというのは言い得て妙な気がしてきました。

互いに毎日きっと戦わずささやかに生きていくのはどうにも下手くそですが、下手くそなら下手くそなりに嬉しいや楽しいや面白いやともかくそういう手触りの良いものを大きく喜びたいなあと思います。そうして、そういうことも一人だとどうにもうまくいかなかったり志半ばで終わったりしちゃうけど、
づめさんを巻き込んだらなんとか形になったり輪郭を持ったりするんじゃないかなあと思います。

 

そんなわけで、四月の私の楽しかった話です。


お気に入りの場所があります。
川です。かと言って、綺麗な川ではなく、釣りをしてるひとはたまに見ますが、まあ積極的に入りたいとは思えない雰囲気の川です。
ただ、私はその川が好きです。
どちらかといえばそっけなさもあるような川ですが、夜や早朝にその川に行くと落ち着きます。


ただ、ここ最近は忙しくてその川を見に行くこともできずに散歩のコースからも外して過ごしてました。というか、散歩自体がちょっとおざなりな感じでした。
散歩、というよりも歩数ノルマをこなす、だったここ数週間。
唐突に色々と嫌なことがあったので少し遠回りになる川を見に行くことにしました。
川に向かうか、まっすぐ帰るか。その分かれ道で川に向かった時、たまらなく嬉しい気持ちになりました。まだ川を見る前から無性にニヤニヤしそうになったのです。

 

川を見たらそれはもう、ああうん、ここが好きな場所だなと噛み締めたんですけど、それより何よりも「あ、川に行くんだなあ」と思った時点でとんでもなく嬉しかったことが私の中では大きくハッピーな出来事でした。


少し前、若林さんが「行きたい場所があると街は輝く」という話をしていたんですが、それを体験として感じました。なんなら、行きたい、とはまたちょっと違うんだよなあ。
そうじゃなくて「ここに行けば大丈夫という場所に向かっている」ことがなによりも嬉しかったんだと思います。

 

かなり慌ただしいだろう毎日の中でこのキャッチボールがあんまりご負担になりませんように。
時々手の中に「あ、ボールある」と気付いたタイミングで投げ返してもらえたら嬉しいです。お互い、楽しいがひとつでも多く増える時間になりますように。

 

かしこ


つく

 

 

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つくさんへ

 

お元気ですか?

このたびは素敵なキャッチボールのお誘いを有難うございました。

4月の初めにボールをいただき、あっというまに4月半ばですね。
もう4月!
早かったような、とてつもなく長かったような。

今年1月に海をわたり異国の新しい環境にきて、見えない未来におおきな目標を描くことよりも、自分がこれまで積み上げてきたことをひとつひとつ振り返ることのほうが、自信というか、踏ん張れる力になるな、と思うことが増えました。
ですので、1月から3月まで、2024の4分の1はすでに生き抜けたことを褒めたいところです。

わたしも、つくさんも。そして、みんなみんな、偉い。ほんとうに、よく生きてきたよ。

さてさて。
つくさんの頭痛ーるの件、外部要因への他責、大賛成!とぱちぱち拍手をしたいような気持ちで拝読しました。
わたしも、気圧の変化や寒暖差、ホルモンバランス。ついでに、月の満ち欠けや、スケジュールの状況なども、心身の揺れの外部要因としています。


たのしく生きるために、健康な心身は不可欠ですね。不調は外部要因と照らし合わせながら、過度な自責はせず、できるかぎり、前を向いて、穏やかなきもちで、いきてゆきたい。

ボールをいただいてから、なかなか「ハッピーや幸せってむじいな」と手のなかでひたすらボールをこねくりまわして、お手紙をしたためられず、返球できずにいました。

「よかったこと日記」を書いてみたりもしたのですが、どうしても「頑張ったこと、タスク的な目標達成成果」ばかりを書き出してしまい、なんだか、疲れてしまったりして。

おいしいものをたべた。たのしいところにいった。うん、そう。そうなんだけれど。なんだか、そうじゃない、もっともっとささやかなものを感じたいんだ。
言うなれば、感度を上げたいんだ。物事をみる角度を変えたいんだ。

わたしが長年抱いている
物事をつい悲観的な角度で見つめてしまう癖。

それは、毎日のあゆみを、時折重たいものにします。

ささやかなよかったことにきづく感度があげられたら、そんな癖も徐々に、ちがった角度からみつめられるようになって、日々うまく自分とやっていけるんじゃないかなあ。
そんな思いで4月前半をすごしました。

けど、今朝、ようやく、ボールを投げ返せる!と気づいた瞬間がありました。

それは、基礎体温をつけるという、最近始めた習慣の中おとずれた感情を捉えた瞬間です。

基礎体温の計測記録をはじめたきっかけは、最近、風邪というほとではないけれど、微熱があるという症状が月に一回やってくるようになったこと。

単に風邪のひきはじめなのか?いや、タイミング的にもしや高温期なのではないか?などとと考え、自分の心身不調をもたらす外部要因の傾向を把握しようと初めました。頭痛ーる自分版、みたいな。

朝目が覚めて、薄暗い部屋で、枕元に置いてある基礎体温計に手を伸ばし、体を起こさない状態で体温計をくわえます。
電子音が鳴ると、画面に体温が表示されるので、アプリを開いて、今日の体温を入力します。

入力後、グラフの画面を開いて、前日以前からの基礎体温の推移を見つめていました。

そうするとなんだか、毎日毎日をこつこつ生きている実感や、日々自分のデータを蓄積することで毎日心身の状態が変わり翻弄されることへの受け身がとれるような気がして、少し、ほんの少しですが、今日も生きようという力が湧いてきました。

自分がきめた、自分に優しくするために、毎朝自分との約束を守る、というちいさな成功体験。
それが、ちいさな力を与えてくれるのかもしれません。

ほんとに、ほんとにふと、「おや、これが、わたしの感じたかったものなのでは?」と思い至りました。

それは、幸せやハッピーと名前をつけるには、とてもささやかすぎる感情の動きでした。
それこそ、「ぱぴ」というちいさな、ゆるさのある名前が近いような。

ふと、ちいさな子供が履く、一歩踏み出すと音が鳴る靴みたいだなぁと思いました。
自分が動いたらなんだか鳴ったちょっと嬉しくなる音。
もう一歩うごいたらまたこの音が聞けるかなあ。
あるいちゃおうかな、踊っちゃおうかな。
こんな嬉しくなる靴を履いているなんて、なんてたのしい。

わたしがほしかったのって、こういうきもちだ!とおもったのです。

自分が、そんな靴を履いていることにきづけたのこそ、このキャッチボールと名付けた往復書簡のおかげでした。

ぱぴぱぴキャッチボール。

ボールを投げようと足を踏み出すたび、我々の足元で「ぱぴ」っとちいさな音が鳴るのでしょう。

たのしいね、うれしいね、と、ぱぴぱぴ音を鳴らしながら、つくさんのなげたボールを見つめて手を伸ばし、つかまえられること。
ほかでもない、つくさんが、ボールをまっていてくれること。

こんな楽しい企みにお誘いいただけたことも「幸せ」そのものです。

つぎはどんなボールが飛んでくるのかなぁ。
そしてそのつぎはどんなボールをどんなふうに投げようかなぁ。

それをまた楽しみに、いちにちいちにち、引き続き生きていこうと思います。


づめこより

 

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4月の終わりに


お返事、ありがとうございました。
4月も無事終わり、また新しい月がやってきますね。
なんというか、日々「楽しい」を探して時が進むことを待っているのに、でもどっか、終わってしまうことにも怯えてしまうので
なんだか、そんな中でのづめさんの「積み重ねた」の嬉しいは読んでいてすごく嬉しくなりました。


最近、なんで私はこんなに色々やりたくなるのか、ずっと考えています。
たぶん、こういうキャッチボールをやりたいことや、それをわざわざ(そうたぶん、わざわざ!)ネットに公開すること。一人ならともかく、そこにいろんな人を巻き込みたくなることは人によってはおかしく、勘違いしていて「イタイ」ものなんだろうなあと思います。

だけど、づめさんが投げてくれたボールを観て、でもやりたいんだよなあと思いました。
なんだかそうして日常の彩りを一緒に見てくれる、そんなことがたまらず嬉しくて、それを一個でも形にしたくて、そうしていたらそれこそ私は自分の毎日を好きな形で重ねることができるような気がするのです。

 

キャッチボール、付き合ってくれて、ありがとうございます。
5月もまた、楽しいキャッチボールができますように。